歩き始めた映糸

映糸の誕生が2001年11月27日となっているのは辰巳がP-SHIRTSを辞めた日だったか(映糸という名前を彼女が思いついた日なのか)メンバーが揃ったのがその日だったのか四人がスタジオに入ったのがその日だったのか忘れたがスタジオに入ったのが2001年12月30日だったのだと思う。あけましておめでとうのメール(携帯メールが普及し始めた頃)が辰巳から年が変わった時にきたことをよく覚えている。

とにかく
ドラム:喜屋賢二
ギター:小堀努
ボーカル&ベース:辰巳加奈
に決まったというメールが辰巳から来たのは覚えている。

そして練習当日。
まだ見ぬメンバーは昼か夕方からか練習に入っていて僕はその日まで仕事だったので夜から入ったものと記憶する。
初めての映リハは心斎橋にあるアイコアイコというスタジオで僕がはじめて入るところだった。

そしてスタジオの扉を開けると既に三人は演奏していた。はじめましてと僕らは互いに挨拶をした。
辰巳と初めて会ったのはこの時だった。
辰巳はジーンズ姿でアップライトベースではなく普通のエレクトリックベースだった。練習後に多分僕が言ったのだと思うが "アップライトにしないんですか?" と訊いた。クイックジャパンにP-SHIRTSが載りアップライトベースを持つ辰巳の姿が印象的で素敵だったからだ。おそらく彼女もそう感じていたと思うのだがもしこの時点でアップライトではなく普通のエレクトリックベースのままで行こうとなっていたら映糸はもっとロックっぽいビジュアルになっていたかもしれない。

小堀はまだ見た目や雰囲気も二十歳を越えた若者特有に有りがちなとんがった青年だった。まだ自分が何者なのかわからずモヤモヤした印象のある彼だったがまさかその後一番長く一緒にやる事になるなんてこの時はわからなかった。

喜屋は関大生で背がひょろっと高くジャズがとても好きで僕も当時はジャズしか聴かなかったので話が合った。こいつとは長い付き合いになるだろうとこの時点が思っていた。

それから練習に入る。
持参したPowerbookG3を繋ぎマイクにエフェクター(これは僕がクビになったジャズバンドのリーダーのやつがくれたものだ)をセッティング、トランペットを吹き鳴らした。
するとみんなの表情がみるみるうちにイキイキしだした。おそらく当時の彼らはロックバンドのフォーマット以外のものにあまり出くわしてないからだろう、その瞳の輝きに僕の方が戸惑った。それはうれしい戸惑いだった。

何曲か音合わせをする。インプロゼーションもやり僕も煽るようにブロウする。それにつられて小堀も熱がこもった演奏をする。喜屋も満面の笑顔で激しく応酬。辰巳はニコニコしながらベースを弾く。
この練習で携帯電話のサイン波を使ったのか覚えてない。しかし次の年の三月で使用した覚えがあるので使ったのだろう。

全ての練習が終わりまだニコニコしていた辰巳が手帳を取り出し僕に向かって "次の練習はいつにしますか?" と訊いてきた。

生まれた映糸が歩き始めた瞬間だった。